腰椎椎間板ヘルニア闘病記

とあるおじさんの四半世紀にわたる闘病記

カイロプラクティックから整体院へ

さて、接骨院カイロプラクティックを受けた後の話に戻ろうと思う。

初回のカイロプラクティックで劇的に症状が軽くなりホッとしたのもつかの間、一晩寝ると痛みは元に戻っていたのだ。

カイロプラクティックによって歪んだ背骨や骨盤が整い椎間板によって圧迫されていた神経に隙間が出来たのだろう一時的な神経痛からの開放は時間によって元にもどってしまったようだ。

接骨院の院長の説明だと何回かの施術は必要なので数日後にまた来院しろとの事だったので言う通りにした。

たしか月曜と木曜しか院長がいない為、週ニでしばらく通ったと思う。

初めの数回は家に帰るくらいまでは痛みが引いていたのだが3ヶ月目くらいには施術後に変化が無いほど効果が無くなっていた。

途中何度か院長が不在で施術を受けられない事があり母には内緒で治療費をちょろまかした事がある。

保険適応適応外なので毎回3500円かかっていたのだが中学生の自分にはとても大きなヘソクリになっていた。

今思うと裕福では無い家庭だったのに大変申し訳無い事をしたと反省している。

結局、高校受験が終わった頃にいい加減効果がないのでは?との事で自然と通院しなくなり以降しばらく病院に通う事はなかった。

症状は当初と、変わりなく太腿とふくらはぎの側面に坐骨神経痛と慢性的な腰痛を抱えたまま高校へ進学する事になった。

高校は片道1時間半もかかる私立高校に行くことになったのだが、これも椎間板ヘルニアのせいとしておこうと思う。

一応言い訳だが、中学3年時に椎間板ヘルニアが発症し勉強など出来る状態ではなかった。成績は下る一方で志望校を定める事が出来ず公立高校の5教科試験の勉強をする気力が無かったので私立高校の単願受験を選んだ。

当時の単願受験とは内申点で決まっており、試験は形だけの合格が約束されているような受験だった。

結果的に受験勉強などほとんどせずに高校に進学する事になった。

今考えると、もっと近くの学校に行けば良かったと思う。

もちろん高校生活が始まっても椎間板ヘルニアの症状は良くなる事は無く毎日地獄のような生活だった。

通学で燃え尽きそれこそ勉強などまるで手に付かない状態で校内でも最低の劣等生だったと思う。

ただ、この学校で新たな道が偶然にも開ける事になった。

ある日、クラスメートのおっとりしたイジられキャラ的な友人にちょっかいを出した。

背後から頭を掴んでゴキッと曲げるカイロプラクティックの真似事をしたのだ。もちろん友人は怒ったが私がカイロプラクティックだと言うと、カイロプラクティックはそんなのじゃない!と言い返してきた。

当時カイロプラクティックを知っている高校生などいないと思っていたので何故知っているのか訊ねると、なんと母親が整体院の院長だと教えてくれた。

そこで、自分の経緯を説明しお母さんに聞いてくれとお願いすると、次の日には医院に来なさいと言ってくれた。

本来、レディースクリニックなので女性専門の整体院だったのだが息子の友人という事で特別に診療してもらえる事になった。

 

整体院での治療に続く